相手のため?自分のため?
人のため、相手のために何かをするという場面ってあるかと思います。
それは、何かしらの行動もそうだし、何かしらの思いだったりもします。
でもよ〜くよ〜く考えてみると、それって自分のためにやっていることじゃないかなと感じたことはありますか?
『相手のためを思って自分の気持ちを伝える』
もちろん相手のためになることもあるかもしれません。
しかし、どうでしょう。
相手のためにと思って、自分の気持ちを伝えた時の”自分の気持ち”はどうでしょう。
”やってあげた感”や、”満足感”を感じてはいないでしょうか?
それって、本当に相手が喜ぶことだったでしょうか?
聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、
『課題の分離』という言葉があります。
何かを決断する・何かを選択する・何かに悩んでいる・何か考えていることがある・何か感じていることがある・何か〇〇な状況・・・
など、人それぞれ”自分の課題”というものがあります。
その課題の本当のところは、その本人にしかわからないことでもあり、その本人のための課題なのです。
つまり、他者がその人の課題に踏み込む必要はないということです。
なぜなら、その人の課題は、その人に与えられたものだからです。
もちろん聞いてあげたり、アドバイスしてあげることは相手のためになることかもしれません。
ですが、決めるのはその本人です。
例えば、自分の思いを伝えて、相手がその自分が伝えた通りの決断をしたとします。
そこでどう感じるでしょうか?
『自分のアドバイスのおかげ』となっていないでしょうか?
もし逆に、自分のアドバイスが相手に受け入れられなかったとき、
『教えてあげてるのに』となっていないでしょうか?
『こんなに考えてあげてるのに』となっていないでしょうか?
それって、本当の本当に相手のためになっているでしょうか?
もし、自分の気持ちを伝えたのち、その相手の決断に関して、自分の感情が揺さぶられるのであれば、相手のためという仮面を被ったただの自己満足という可能性があります。
こんな風に書くと、失礼なやつとか、人のやさしさをなんだと思っているんだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、
本当に相手のことを思うのであれば、相手がどんな決断をしようとも、相手の決断を応援する気持ちになるのではないでしょうか。
”人に何か教えるというよりは、相手が自分で気付けるように助けてあげること”
これが本当の相手のためになるのではないでしょうか。
それだけで良いのではないでしょうか。
そこに自分の気持ちを押し付ける必要はないと私は思います。
実は気づかないうちにやってしまっていることで、
自分の気持ちばかり押しつけ過ぎることにより、相手(子供も大人問わず)によってはその人の可能性にフタをしてしまうこともあります。
相手の課題を、そして相手が出した決断をただ心から応援してあげることが、より相手の可能性を広げることに繋がる。と私は思います。
相手のことを思う気持ちが強ければ強いほど、大切に思っていれば思っているほど人は助けたくなるものです。
だからこそ、そんな時ほど、『相手のための中に自分のためが入っていないか』と一度考えてみることで、本当に相手のために自分を活かすことができます。
”人に何か教えるというよりは、相手が自分で気付けるように助けてあげること”
この気持ちがあれば、助ける方も助けられるほうもお互いが幸せになれると信じています。