やらないことを決めると、やるべきことが出来る
実は、僕自身結構なんでもやっちゃうタイプでして、
まあなんでもやっちゃうといっても、「なんでもできる」という意味ではないのですが・・・
これは、良い意味ではなくどちらかというと悪い意味で・・・
例えば、自分が何か「やるべきこと」をやっているとして、誰かに話しかけられたりしてやっていることが中断してしまう。
そして、そのまま何か頼まれてそっちの頼まれたコトをいつの間にかやることになっていて、結局やっていた自分の「やるべきこと」の時間が他のコトに費やされていることに気づく。
結果、本来自分が「やるべきこと」に使える時間がどんどん少なくなっていることに気づく。
で、夕方ぐらいになって今日1日なにやってんだ俺・・・みたいな。
確かに人に頼まれることは悪いことじゃないし、もちろん嫌でもない。
(頼まれないよりは頼まれた方がうれしい時もあるし)
でもどこかで自分の時間を生きていない。
もちろん自分が大切にする人には、自分の時間を使う必要はあるし、できる限り使いたいと思う。
実際やるべきことはわかっているのに、やってない・出来ていないなんてのはザラにあって、
結局は、自分の時間の使い方が原因だったりする。
人は、1日という時間の中で無意識的・意識的含めて約2万回の決断をしていると言われている。
どの服を着ようかな、何を飲もうかな、何を食べようかな、といったこともそうだし、
右からか左からか、前からか後ろからか・・・
このタイミングでこれをしよう。
このタイミングであれをしよう。
そう、全部自分が決めている。
何をするか決めているのは全て自分。
頼まれたことをするのも、自分がやりたいことをするのも選んでやっているのは自分。
1日24時間の中で、なにをするのか決断して行動しているのは、自分。
なんでもかんでもやっていたら1日なんてあっという間に終わる。
24時間なんて一瞬。
もちろん睡眠時間やご飯を食べる時間、お風呂に入る時間という自分にとって最低限必要な時間は必ずある。
または人によってはそれぞれのルーティーンもある。
そういった最低限必要な時間を除いたら、自分が使える時間というのは何時間あるだろうか。
自分がやるべきことをする時間は何時間・何分あるだろうか。
自分がやりたいことができる時間はどれぐらいあるだろうか。
当たり前だけど、1日は24時間しかない。みんなそう。
「私は、1日40時間あるんだ!」なんて人はいない。
その貴重な時間と自分はどう向き合い、どのように使っていけるだろうか。
自分が生きている間使えるのが時間。
その自分の時間をどう使うかは自分次第。
〜やるべきことが出来ていないまま、気がつけば1日が過ぎ去っていく〜
このようなことを、あなたがもし頻繁に感じているのであれば、
恐らくあなたは、周りの人から、とてもやさしくて頼りになる存在なのでしょう。
頼まれたら断れないこともあることでしょう。
もちろん人は1人では生きていません。
助け合いの精神はとてもとても大切です。
しかし、あなたの時間はあなたのものであり、
あなたがやるべきことは、あなたにしかできないことでもあります。
もしかしたら何もかも完璧にできたら素晴らしことなのかもしれません。
ですが、それは難しいでしょう。
私はロボットではありません。意識もあるし、1日の体力の限界もある。
時間は有限です。
やるべきことができるようになるには、やらないことを決めるということ。
つまり、
やらないことを決めるとやるべきことが出来る。ということ。