もっと早く知りたかった

何かを始めようと思って、何かを知った時、もっと早く知りたかったなぁ。

 

と感じたご経験っておありでしょうか?

 

 

僕は過去に何回もあります。

 

例えば、何かを知った時に、

「すごいなこの考え方は」とか、

「なるほど!勉強になる〜」とか、

「そんなことが!」とか、

「そうか、そうゆうことなのか!」とか。

 

 

こんな時って、驚きと感動の後に、

『もっと早く知りたかったなぁ』

という波が押し寄せてきます。

 

 

もし、

「もっと早く知っていたら・・・」

 

といっても、もっと早く知った自分と、今の自分を比べることはできないので、どうなっていたかはわかりませんが・・・。

 

 

しかし、それが目の前に転がっていたとしても、それが知人から良いよと紹介されたものだったとしても、

そうゆう知る機会がたとえあったとしても、その時の自分が必要と思っていなかったとしたら、その情報を受け取ることはありません。

 

 

人って、自分の重要性が低いものは、見えないようにできているから。

(※スコトーマ…心理的盲点という人の機能)

 

おもしろいですよね。人って、自分に興味のない話は聞いているようで聞いていないし、そもそも無意識的に聞こうともしていないんですよね(笑)

 


つまり、知ったということは、

”必要な時に知った”ということです。

 

 

”その時に必要だから始めよう”と思ったということです。

 

 

だから、「知るのが遅かった」ということではありません。

 

 

 

必要なタイミングで必要なことが知れて、ラッキー!なんです。

過去を悔やむ必要はありません。

 

 

 

それよりもここから先、考えることは、

 

「その与えられたものをどう使うか」

 

ということ。

 

よく言いますよね、生かすも殺すも自分次第って。

 

自分の使い方次第で、結果が変わるということ。

 

 

 

ここからそれをどう料理するのか。

 

どう魅せることで、どれだけ多くの人に興味を持ってもらい、食べてみたいと思わせることができるのか。

 

どう料理すれば、どれだけ多くの人の口に運べ、心から美味しいといってもらい、喜んでもらえるか。

 

どうゆう在り方の自分でいれば、また自分の料理を食べに来てくれるのか。

 

 

 

もし、ピンとこない場合は、

『未来の理想の自分から今を創っていく』というところにヒントはあるかもしれません。

 

 

 

その与えられたものを使って、幸せと価値を提供し、貢献できる自分で在り続けましょう。

 

 

 

 

 

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